―ある夜のこと(彼の場合)―




「え・・」
「だから、今夜弥彦帰ってこないから夕飯はいらないって」

まるでなんのことでもないかのようにそう言う薫に対して、
剣心の表情は固まっていた。
「ちょっと、剣心?」
怪訝そうに薫が剣心の顔を覗きこむと
途端、剣心は慌てて大げさなくらい顔を遠ざけ身を引く。
「・・なにやってんの」
「え・・あ、はは・・」
「変な剣心」
どうにも様子のおかしい剣心に薫は眉を潜めた。
「ま、いいわ。
そうゆうことだから今夜ははやめに夕食済ませちゃいましょ」
「そ、そうでござるな・・」
にこりと微笑んで、薫は稽古でかいた汗を流すため風呂に向かった。
「・・・」
その後ろ姿を剣心は焦点の合わない目で見つめた。

(・・まいったな・・)
ぽつりと、ため息が一つ零れた。


薫と恋人同士になってから気づいたこと。
彼女は、普段の活気良さを疑ってしまうほど色恋に関して消極的だ。
初めて接吻を交わしたのはいつだったか。
あれから毎日のように口付け合うようになったものの、
薫は全く慣れることがないようだ。
いつもいつも息を止めて身体をかちんこちんに固め、きつく唇を閉じている。
そんな薫に苦笑いしながらも、
剣心はゆっくりと誘導するのだが軽く吸い付いただけでものすごく驚かせてしまうのだ。
舌など入れた日にはそれこそ心臓が止まってしまうのではないかと
剣心はそれ以上のことをできずにいた。


二人きりになる時間が待ち遠しくて
やっと手に入れたぬくもりをこの腕に抱きしめるのがなによりも楽しみで
最初はそんな触れ合いがたまらなく愛しかった

そう、最初は

人間とは、うまくいけばどんどん欲深くなるということを剣心は身を持って知ることになる。
薫の甘さを知れば知るほどもっと知りたいと、
もっと深く近づきたいと思う。
信じられないくらい日に日に薫に溺れていく自分に
次第に「抑える」ということができなくなってきていることを剣心は悟っていた。

ふと気づけば考えるのは薫のことで
ふと視線を向けた先には必ず薫がいて
ふと気を抜けば今にでも薫に手が伸びてしまう

そんな自分を叱咤しながらも、感情にまかせてしまえと一体何度誘惑に負けそうになったか。
触れたいのは、好きだから。
もっと近づきたいと思うのは、自分のことをもっと好きになってほしいから。
曖昧なこの距離がもどかしくて剣心はここのところ悶々とする日々が続いていた。


そんな中で訪れた夜
今夜はいつもいる弥彦がいない。
それを聞いて心を躍らせたか、はたまた不安の色を浮かべたか。
剣心の場合、後者だった。
それはつまり、ぎりぎりで保っていた理性を押しとめるものがないということ。


(自分が怖い・・)
笑顔の下に素顔を隠すのが上手いと思っていた。
しかし薫のことになると、どうやらそうはいかないようだ。
二人きりだから、どうしようというのだ?
あんな風に脅える薫に無理やり事を強いれるほど剣心は強引でもないし、
ましてやそんなことをして薫を傷つけることなど決してしたくない。
それでも込み上げてくる欲を、想いを
一体どうやって静めればいいのだろうか。


口元に米を運ぶしぐささえ、魅力的だと思ってしまう自分がいた。
乾ききっていない藍色の髪が艶を増して。
剣心は箸を持ったまま、じっと薫の様子を見つめていた。

近頃さらに女らしさを増した薫。
剣心に愛されて、大切にされて
幸せな感情が眩しい笑顔としてあらわれる。

自分のつくった飯をおいしそうに食べる姿がまたたまらなく可愛い。
そんな薫をできるならゆっくりと見守ってあげたいのだが
冷静に薫を見ることができない自分に焦りを感じる。
飯も喉を通らず
ただただ、薫に視線を向けたまま。
(このままだと・・)

「・・剣心?」
さっきから全く食の進んでいない剣心を不思議に思ってか、薫が声をかけてきた。
「剣心てば、どうしたの?」
「え?いや、別に・・」
「ごはん、食べないの?」
「その・・あまり食欲がなくて」
「どっか具合でも悪いの?」
途端、薫の表情が曇る。
「そうゆうわけではござらんよ。
腹がすいてないだけでござる」
「そう・・それならいいけど・・」
どうも納得できないのか、薫は心配そうに剣心を見つめた。
(そんな顔で見ないでほしいでござるよ・・)


あまりにも無防備な薫に、不埒な想いが加速する。
当の本人は全くというほど二人きりということを気にしてないようだ。
特になになんでもない、いつもと同じ夜だと思っているのだろう。


「ねぇ、剣心聞いてる?」
「あ・・すまぬ。
なんでござるか?」
「も〜またぁ??」
不服そうに薫が口を尖らせた。
「剣心さっきからそればっかり!」
「はは・・すまないでござる」
夕飯を済ませ、片付けをしてひと息ついてからも剣心はずっとこんな調子だった。
薫の用意してくれた茶をじっと眺めたまま、同じことを何度も頭にめぐらす。
薫がどんなに話しかけてきても話題をふってきても
剣心は曖昧な返事しか返すことができなかった。

気づくと薫は話しかけることに疲れたのか、頬杖をついてどこかを見つめていた。
そんな薫を剣心が見つめる。

結果は、出ていた
やはりまだ早い

想いを伝えて
想いを通じ合って
恋人となって
薫はきっとまだ、今の状況に満足しているに違いない。
二人きりの夜ということに全く意識していないという時点で
彼女は自分との艶事に少しも期待していないのだ。
自分は薫よりずっと年上で
だからこそ薫に歩幅を合わせてやりたい
無理に大人になる必要はない
急いで女になる必要はない
焦って彼女を自分のものにしてしまう必要もない
剣心はそう、自分とけじめをつけた

ただし、今夜は口付けもお預け。
そんなことしてそれだけで止められる自信がないから。
今夜はやはり具合が悪いと言ってはやめに部屋に戻ろう。
そう思っているのだが。
ここから離れたくなくて、もう少し薫と一緒にいたくて。
心のどこかで期待せずにはいられなくて。


ふと、近くに気配を感じた。
顔を上げると、すぐ傍に薫が腰を降ろしてきた。
「か・・」

名前を呼ぼうとした途端、甘い香りが鼻をかすめる。
それはもう幾度も交わした味。
欲しくて欲しくて求めてやまないぬくもり。
剣心の視界に閉じられた長い睫毛が見えた。
軽く触れただけで離れていった唇を
追うように自然身体が動く。

「・・わたしがいるのに・・わたしをおいて他の事を考えないで」

もう、止まらないと思った

気づいたら薫の両手を掴んで
そのまま勢いよく畳に押し倒していた。
「んっ・・」
さっきの感触を確かめるように自分のそれをぐっと薫の唇に押し付ける。

だけどそれじゃ足りなくて

足りない
こんなんじゃもう

角度を変えて、幾度も幾度も吸い付いた

他の事だなんて
君のことでこんなにも頭がいっぱいなのに
他に何を考えろというのだろうか

「けんっ・・あっ」
薫が驚いて口を開けた瞬間、容赦なく舌を押し込んだ
「んぅ・・!?」
抵抗するように肩を押し返してくるけど、
剣心はそんなことに気をとられている余裕がなかった。
押し込めていた感情を吐き出すように強く薫を抱きしめ、
求めてやまなかった舌を探し出す。
粘膜の混ざる音を聞きながら舌を絡めると
薫がびくりびくりと身体を震わせた。
それさえも愛しくて
剣心はさらに深く薫の口内を貪る。

「はっ・・んっ・・!」
「薫殿っ・・」
喉がこくりと鳴って
溢れる唾液で唇を濡らしながら
剣心は薫を呼んだ

その声に薫が反応する
きつく閉じていた瞳を開いて
薫も剣心を見つめた

ただ、せつない
こんなにも感情を乱されて
こんなにも一人の人間に心を支配されて

大人げなくても
男らしくなくても
君が受け入れてくれるならそれでいいと思った

きっかけをつくったのは君。
初めて君から口付けをもらって
これ以上冷静でいられるわけがない

だからもう
逃げないで
逃がさない

剣心はもう一度、深く薫の唇に自分のそれを重ねた。
それは堕ちていくような、心地良い感触。


その晩、二人の唇が、身体が、想いが離れることはなかった

それはある夜のこと
二人の関係が変わった瞬間







(終)




剣心視点で書いてみました。
焦れて焦れて焦れる剣心を書くのが好き。












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