薫はじっと、一点を見つめていた。
視界を真っ黒に染めていた闇は
目が慣れたせいか今はうっすらと明るみを帯びたように見える。
聞こえるのはかすかな寝息と
時々唸り声のように響く寝言
外はすっかりと静けさを増し、夜の帳は完全に降りていた。


いつもならとっくに眠りについてるこの時間。
おかしいくらいはっきりとした意識は薫の心を余計に乱す。

(よく寝てる・・)

あどけなさを残すその顔は、やはり10歳のものだ。
そんな弥彦の寝顔が可愛らしくて、つい笑みが零れてしまう。
しかしそれも一瞬のこと。
気を抜けばすぐに心が寂しいと泣き出す。

(・・寒い・・)

布団を頭まですっぽりかぶっているにも関わらず
芯まで冷えた身体を薫は自分で擦るように抱きしめた。
寝る前に弥彦に一緒の布団で寝ようと申し出たのだが当然受け入れてくれるはずもなく。
ガキじゃねぇんだから一人で寝ろ!と追い払われてしまった。

(・・照れなくてもいいのに)
難しい年頃なのね、なんて思いながら薫はうす暗い部屋を探るように見渡した。
時計の針はすでに頂点を超え、薫がどのくらいこうしていたかを無機質な音を奏でて教える。

いつもならすでに夢に落ちている時間だ。
そうでなければ、薫は別の部屋で暖かいぬくもりに抱かれているはずだった。


剣心の部屋で


剣心に、抱かれて


彼とそうゆう関係になって二月以上が経とうとしていた。
一緒に住んでいる弥彦に二人のことは言っていない。
夜中になると薫がこっそり布団を抜け出して彼の元へ行くのだ。

誰よりも二人の関係が進展することを望んでいた弥彦なら
からかいながらも祝福してくれることだろう。

しかしいくら家族のような存在だとしても
やはりまだ10歳という幼い子供に男女の仲を伝えることにはためらいがある。
話す機会はすぐにでもくる。
そう思って剣心も薫も暗黙の了解で口に出さずにいた。
なによりも、言葉にさえしないがお互いこっそりと求め合う夜這いめいた行為を
どこか楽しんでいるようだった。

(寒い・・)

さっきから一体何度同じ台詞を心の中で繰り返しただろうか。
もしかしたら剣心が来てくれるかもしれない。
そんな期待を少なからず持ちながらも気持はどんどん落ち込んでいく。



今日、薫は剣心とけんかをした。
最初はただの軽い言い合いだったのだが、
最後には薫が一括怒鳴りを浴びせそのまま部屋に閉じこもってしまったのだ。
そして薫の予想していたのとは違って
剣心は一度も様子を見に来てくれなかった。

その後帰ってきた弥彦にこっそりと剣心の様子を聞くと
彼はすこぶる機嫌が悪そうだったらしい。
雰囲気がぴりぴりとしていて近寄りがたかったそうだ。
さすがの弥彦も珍しく不機嫌な剣心に何も言うことができず
さっさと風呂を済ませて部屋に戻っていった。


剣心が怒っている。
もしかしたら初めてかもしれない。
いつも、どんなに薫がわがままを言い一方的な怒りをぶつけても
剣心は薫をなだめるように笑うだけで決して怒ったりしなかった。
どんなに薫が悪くても、逃げるように部屋に閉じこまっても最後は必ず迎えに来てくれるのだ。
そんな剣心に申し訳なさが募って結局薫も折れるように仲直りする。
それが当たり前になっていて。
今回もそうなるのだと思っていた。


それなのにこの時間になっても剣心がやってこないということは
ついに彼の逆鱗に触れてしまったということ。
薫は今さらながら自分の言動を悔いた。




始めは小さな焼きもちだった。




いつものように出稽古に出かける薫を剣心は迎えに行くと言ってきた。
どうも剣心は少々過保護なようで、最近では行き慣れた出稽古先にさえ迎えにやってくる。
それはすごく嬉しいのだが、忙しい剣心の時間をさいてしまっているようでなんだか申し訳ない。
それでも薫はいつも剣心が来るのを楽しみにしながら稽古にはげむのだ。

そして今日も無事稽古を済ませ、荷物をまとめて道場を出た。
いつものようにそのまま赤べこに向かう弥彦に
「ブスを迎えに行くこと程面倒なことはないぜ」などと言われ思わず掴みかかろうとしたが、
逃げるようにかけていく後ろ姿を諦めて見送った。

いつもなら薫が終わる前にすでに剣心が門の前で待っているのだが、今日は珍しくまだのようだ。
すれ違ったら困るので薫はそこで剣心を待つことにした。
門下生が薫に挨拶しながら次々と家路へと向かうのを見送りながら、
薫はいつ剣心が現れるのかとどきどきしながら待つ。


けれどいつまで経っても剣心がやってくる気配がない。
忘れている、または時間がなくて来れないというのならいいが、
万が一彼の身に何かあっていたらと思うと薫はだんだんと不安になってきた。
待ちくだびれてもう帰ってしまおうかと思った頃、ようやく剣心がかけ足でやってきた。

「すまない、ずいぶん待たせてしまった」

申し訳なさそうに謝る剣心の額がはうっすらと汗で濡れていた。
こんな寒空の下、彼は汗をかくほど走って薫のもとへやってきたのだ。
よほど焦っていたに違いない。
その気持が嬉しくて、薫は特に遅れた理由も聞かずただ「ありがとう」とだけ言った。
そんな薫に剣心も微笑み離れていた時間を埋めるように笑顔を交わす。
そしていつものように剣心が薫の荷物を抱えて二人は仲良く家へと歩を進めたのだ。


しかし


「ねぇ見て。この寒いのに川で遊んでる」
ちょうど橋にさしかかったところで、薫が川で遊ぶ子供たちに目を向けた。
橋に身を乗り出すようにして指をさす。

「元気でござるなぁ」
「楽しそうね」
冷たい水に足を入れあって、顔をしかめながらも笑い合っている。
「やっぱり子供は元気が一番ね」
そう言って剣心に目を向けると、彼はどこか違う方を見ていた。

「剣心・・?」

剣心の視線を追いかけると、そこには一人の女性が歩いていた。
ちょうど橋にさしかかるところだ。
その女性が剣心に気づくと、彼女は歩をはやめてこっちに向かってきた。
そんな彼女に剣心も当たり前のように歩をすすめ、はや足で向かってくる女性を待ち構えた。

「けんし・・」
「無事に済んだでござるか?」
薫がそう言うより先に剣心が口を開いた。
そんな剣心にたいしてその女性はにこりと微笑む。
「はい、おかげさまで間に合うことができました。」
うす紫色の着物にそれに合わせた濃い紫色のショールを纏ったその女性は薫より少し年上だろうか。
上品に見えるのは白い菊の花を基調とした質の良い着物のせいだけでなく
彼女のかもし出す雰囲気も助長しているのだろう。
口元の小さなホクロが印象的だ。

「先ほどはありがとうございました。
なんのお礼もできなくて・・」
「いや、礼など必要ないでござるよ。
それよりよかった。
あのままでは全く違う方向に行ってしまうところでござったから」
「この辺りにはあまり詳しくなくて・・本当にありがとうございました」

深くお辞儀する女性に剣心は困ったように笑う。
どこか照れたように見えるのは薫の気のせいだろうか。

「それではこれで失礼します。」
「日も短くなってきている故、気をつけて帰るでござるよ。」
「はい」

にこりと微笑んだ顔は女の薫が見ても美しかった。
もう一度深くお辞儀をして、その女性は二人を通り過ぎて行った。
目が合った薫にも笑顔で微笑むと、
彼女はショールを肩にかけなおし振り返ることなくその場を後にした。

「・・・」

そんな彼女を薫はじっと見つめる。
後ろ姿だけで、どうしてあんなに色っぽく見えるのだろうか。

「薫殿?」

名前を呼ばれて振り返ると、剣心は「いこうか」と言って再び歩き出した。




「・・ねぇ」
「ん?」
「今の人は?」
「あぁ・・薫殿を迎えに行く前に道に迷っているところを助けたのでござるよ」
なんとでもないように剣心はそう言った。
「・・それで来るの遅れたとか?」
「馴染みのない者には少々難しい道のり故、目的地まで案内したのでござるよ。
そうしたらすっかり遅くなってしまって・・すまなかったでござる」
剣心の背中を見つめながら淡々と紡がれる声を聞いていた。

「・・ふーん」


ふと、自分を見下ろしてみた。

白い道着に紺色の袴
水で洗っただけの顔

あまりにも女らしくないその格好に突然自分が嫌になった。
それとは対照的に品も色気もあって、さらに笑顔の綺麗なさっきの女性が目にやきつく。
頬の緩んだ剣心の顔。
あんなに綺麗な女性ならわざわざ目的地まで連れて行ってあげたいと思うのが普通だろう。


たとえ、汗にまみれた恋人を長く待たせることになっても―


そう思った瞬間、ちりちりとしたものが薫の心を襲った。
「・・素敵な人だったわね」
ぽつりと薫が呟いて。
「ん?んーそうでござるなぁ」
薫に振り返ることなく剣心が考えるように唸る。
「確かに、整った容姿の持ち主でござったな」
その言葉で薫は一気に機嫌を損ねた。
「そう、よかったわね。いい人と出会えて」
それだけ言うと薫は剣心を抜かしてすたすたと歩き出していってしまった。
「薫殿?」
つかさず剣心が後を追う。
「はやく帰りましょ」


薫の誇りともいえる道着を、今は少しでもはやく脱ぎ去りたかった。
努力の証ともいえる汗を、今は少しでもはやく洗い流したかった。


途端に口数の減ってしまった薫を剣心は伺うようにしながら後をついて行った。
明らかに怒っている薫に剣心は「またか・・」とでもいうようにため息をつく。

それをしっかり聞き取っていた薫がますます苛立ちを覚えたのを知らずに―



家に着いて夕飯になっても薫の機嫌はすこぶる悪かった。
剣心が「怒っているのか」と聞いても薫はただ「別に」とだけ答えて黙々と食をすすめる。
長い沈黙が続いて、どうにも気まずい雰囲気に剣心が薫をなだめるように話しかけてきた。

「薫殿、この煮物少し塩辛かったでござろうか」
「別に」
「昨日いただいた羊羹があるから食後一緒に食べるでござるか?」
「いらない。甘いもの食べる気分じゃないわ」
「弥彦帰ってくるの遅いでござるなぁ」
「いつものことじゃない」

こんな風に、何を言っても返ってくるのは素っ気ない返事だけ。
相変わらずつんとした薫の態度に剣心は再び盛大なため息をついた。

「薫殿」
「・・・」
「いい加減機嫌を直して欲しいでござるよ」
「だから、怒ってないってば」
「じゃあどうしてそんな風に顔がひきつっているのでござるか?」
「これがもとの顔なんだから仕方ないでしょ」
「・・あまり過ぎると可愛くないでござるよ?」
「・・・」

その言葉に、薫が切れた。

箸を止め面倒くさそうに口を開く。
「どうせ!わたしは可愛くないわよ。
色気もないし品もないし、あるのは男気だけだもんね」
そんな薫に剣心もむっとする。
「そうゆうつもりで言ったわけではないのでござるが」
「そうかしら?
明らかに誰かさんと比べてるように聞こえたけど」
「誰かさんとは?」
「さぁ?剣心が一番よくわかってるんじゃない。
鼻の下伸ばして話してたもんね」
「・・やっぱりそのことで怒っていたのでござるか」
「怒ってないってば。」
「薫殿が言ってきたのでござろう。綺麗な人だと」
「ええ、綺麗な人だったわ。
わたしなんて比べものにならないくらい。
剣心もわたしがいなかったらお茶の一つでも誘えたはずなのに、
邪魔しちゃってごめんなさいね。」
「・・何を言っているのでござる?」
「あんな綺麗な人に道を聞かれたら丁寧に連れてってあげたくなるわよね。
わたしのことなんて思い出さないでそのままお近づきになればよかったのに」
「薫殿、不服があるならはっきり言うでござるよ」
「不服なんてないわ。
ただ剣心て、本当に女の人にモテるんだなって」

冷静にそう言う剣心に薫は挑戦的に言い放った。
「誰にだって優しいもんね。
今までだってたくさんの人に言い寄られたりしてたんじゃない?
それなのにわたしみたいに色気の一つもない女と一緒にいて。
子守も出迎えも必要ないから、剣心は好きにいい人とお付き合いしていいのよ」
「聞き捨てならないでござるな」

剣心の声が一層低くなる。
ばんっ、と音を立て箸をちゃぶ台に叩きつけた。
その音に薫が少しだけひるむ。

「少々言いすぎではないでござるか」
「・・・」
悔しそうに薫が歯を噛み締める。
「・・どうしてそこまで苛立っているのかわからぬが、
拙者は当たり前のことをしたまででござる。
それで薫殿を迎えに行くのが遅くなってしまったことは申し訳ないと思っている。
しかし、あの女性のことで薫殿が焼きもちを妬く必要などないでござろう」
「焼きもちなんか妬いてないわ!」

剣心の言葉に薫は声を荒げて言い放った。
焼きもちという言葉が思いきり薫の勘に障ってしまったらしい。

「わたしはただ、あんな綺麗な人だったら剣心だってお近づきになりたいに決まってわよねって・・」
「そんな風に見えたでござるか?
たまたまもう一度会うことができて、彼女はただ拙者に礼を言ってきただけ。
世間話にもならないくらいの会話だったと思うでござるが」


冷静にそう言い放つ剣心の言葉はもっともなことだ。
一体なににこんなにも苛立っているのか。
ただあの時感じた感情がひどく薫の中で渦巻いていて。
どうしようもない気持が剣心にあてつけのように吐き出される。


「・・・」
黙りこくった薫に、剣心は追い討ちをかけるように言い放った。
「・・確かに、薫殿がここまで分からず屋だと拙者も少々疲れてしまうでござるな。
最近ちと多すぎではござらんか。」
「・・なによ。
だったらわたしのことなんて置いてもっと大人な人のところへ行けばいいでしょ」
「ほう?行ってもいいのでござるか?」
「っ・・どこにでも行っちゃえばいいのよ!
わたしにだって剣心以外に優しくしてくれる男の人なんていっぱいいるもの!」



「・・そうでござるか」



暫くお互いにらみ合ったまま時間が流れ、剣心がぽつりとそう呟いた。
今までと格段と違うその声色に、薫の心臓が震えた。


怒りと
苛立ちと
諦めと


そんな色の交じった声


あからさまなため息が薫の心に後悔の念を植えつけた。



それから薫は逃げるように部屋に戻り
剣心はそれを追うこともなく散らかったままの食器を片付けた。
そのうち弥彦が帰って来て。
あきらかに機嫌の悪い剣心と部屋に閉じこもったままの薫を見て
「おまえら最近けんかばっかだな」と弥彦は呆れたように言った。




(寒い・・)

ぶるりと身体が震えた。
頭まで布団をかぶって。
それでもこんなに寒いと思うのは己の心の冷たさ故か
はたまた慣れてしまった人肌が傍にないせいか。

薫はこれでもかと言うほど後悔に頭を悩ませていた。
それと同時に相手を気遣えない自分に死ぬ程嫌気がさす。
自分が悪いのは百も承知だった。
今までのけんかの原因も大抵は薫のわがままと嫉妬によるものだ。

それは剣心と一緒にいることが、
愛されることが当たり前だと考えるようになってきてしまったから。
想いを通じ合ったことで甘えが生じてしまったのだ。

剣心はもう自分のものだと。
彼が見つめる先は常に自分であってほしいと。


独占欲


剣心と想いを交わし、肌を合わせるようになってからさらに欲深くなっていく気持ち。
彼との想いの差を少しでも感じれば
それは不安と苛立ちに変わり、それを剣心にぶつけてしまう。
剣心がそんな薫を優しく受け止めてくれることもわかっていて
だからこそ余計わがままになり、無理な願いも聞き入れてほしくなる。
幸せな日々に生まれた甘え。
それは確実に薫に黒い心を宿して。
消化しきれない感情を、やりきれない想いを我慢できず吐き出してしまう。

(・・わたし・・変わったな・・)

片思いだった頃。
視線はいつも一方通行で、ただ追いかけることしか考えてなかった。
彼がほんの少し違った顔を見せてくれればそれだけで満足で。
想いが通じなくても傍にいてくれれば、彼が笑っていてくれるならそれでいいと思っていた。


自分の幸せより彼の幸せを
自分の気持ちより彼の気持ちを


あの頃は全てのものがきらきらと輝いて見えた。
誰かを想うことの幸せを噛み締めるだけで十分だったのに。
そんな頃があったというのに。
どうして今、自分はこんなことをしているのだろう。

優しい剣心を振り回すようにして
勝手に怒って
勝手に嫉妬して
勝手に機嫌を悪くして

これでは嫌われても仕方ないではないか。
女らしくないどころか、まるで子供だ。

だけど

それでもやめられないのは、彼にかまってほしいからだ。
剣心のたった一言で機嫌が良くなってしまうのは
それでも見捨てないでいてくれる剣心の想いを確かめるため。
困った顔を見るのも
自分のことで頭を悩ませる彼を見るのも好きだった。
それが嬉しくて何度も同じことをしてしまう。
しかしそれを毎回のように繰り返してさすがの剣心も疲れてしまったのだろう。

今回は少しやりすぎた。

自分の女としてのちっぽけなプライドが傷ついて
そこから逃げるように剣心にあたった。

綺麗なだけでなく嫌味一つない女性と
あんなに女性に好かれるのに自慢の一つも言わない剣心の間で
情けない自分の姿が目立って

いたたまれなくて
いたたまれなくて

結局その矛先は剣心へと向かってしまった


(・・剣心・・)

途端、恋しくなる。
決して完全に慣れたわけではない彼との夜の営み。

洗いものをしている時
縫い物をしている時
はたまた稽古の汗を拭いている時
彼は突然言ってくる。
後ろからそっと腰を抱きしめて、「今夜も・・」と耳元に甘く誘ってくるのだ。
その度全身が炎を宿ったように熱を帯びて。
恥ずかしさが先立って逃げ腰になってしまうのだが、
それでも結局足は剣心の部屋へ向かいそのまま彼に身を委ねてしまう。
寝不足でうっかり昼寝をする日が続いてしまうのにもかかわらず
愛し合った後もいつまでもいつまでも布団の中でじゃれ合って。
それがたったひと晩ないだけで遠い昔のことのように思える。

「・・・」

薫はそっと、かぶっていた布団を取り去って上半身を起こした。

「・・・」

けれどすぐに布団に戻るように寝転がる。

身体を起こしては戻って。

何度も繰り返す。

頭の中はすでに剣心のことでいっぱいなのに、薫の中で残った小さなプライドが
行動を押し留めた。


(どんな顔して会えばいいんだろう・・)


いつもいつも、彼はどんな気持ちで自分をなだめにやってくるのだろうか。
思えば一度も自分から謝るきっかけをつくったことがない。
彼がいつも少しだけためらいがちに、そしてすまなそうに部屋にやってくるのだ。
最初は意地を張ってそっぽを向けて
だけど甘えるように寄りかかってくる剣心に最後は薫も笑顔を見せる。

自分から素直に謝りに行けば剣心は許してくれるだろうか。
弥彦が驚くほど怒っていた剣心。
普段めったに感情を荒立てない彼をここまで怒らせたのだ。
彼の方から来てくれることはまずないだろう。

それに今日は自分の番。
いい加減子供めいた自分の言動に区切りをつけなければ。

甘えとわがままに混ぜた想いを
本当は愛しくて愛しくてたまらないという想いを少しでも伝えたい。

薫は意を決して布団を出た。
枕もとに畳んであった半纏を肩にかけて。
そっと、部屋を出る。
安らかに眠る弥彦に小さく「おやすみ」と囁いて。



「・・寒い・・」

部屋の外はさらに冷え込んでいた。
冬の夜は厳しい。
それでも暖かな眠りに落ちることができたのは剣心がいたからだ。
彼も今、自分の肌を恋しがっていてくれているのだろうか。
それとも、もうすでに寝てしまっているとか。
こんな時刻だ。
寝ている可能性が大きい。
もしそうなら自分の身体は朝まで温まることなく
孤独な夜を一人寂しく過ごさなければならない。
剣心が起きていることを願って。
薫はぶるりと一つ肩を震わせると想い人の眠る部屋へと足をすすめた。


嬉しいことに部屋の中には明かりが灯っていた。
まだ起きているのならこの時点で剣心は薫が来たことに気づいているはずだ。
しかしその襖は固く閉じられたまま。
開きそうな気配はない。
まるで拒絶されているようで、薫は怖気つきそうになる自分を叱咤する。

「剣心・・」

やっと出た声は、思った以上に小さくてかすれたものだった。
果たしてこの声が届いたのか、薫は震える体を抱きしめながら返事を待った。

「・・・」

もう一度声をかけようと思って口を開きかけた時、ゆっくりと襖が開いた。
たったそれだけのことなのに嬉しくて薫は今にでも泣き出してしまいそうになった。

「・・そんなところにいては風邪を引いてしまうでござるよ」
その顔は無表情なものだったが、剣心は薫を中へ招くように襖を大きく開いた。
薫は何か言おうと口を開いたがそれを押しとどめ、とりあえず促されるまま中へと入ることにした。

いつの日からか見慣れた景色が薫の目の前に広がる。
文机と箪笥と、畳に引かれた一枚の布団。
枕は、一つだった。

剣心が襖を閉めて。
居場所がないように立ち尽くす薫を布団の上に座るよう促した。

「こんな時間まで起きてるなんて珍しいでござるな」

ほのかに灯る明かりを調節しながら剣心が言った。
薫の心情を察しているのかいないのか、剣心の淡々とした声に胸がつまる。

「・・あ、の・・」

何をどう言えばいいのかわからず薫は俯きながらか細い声で言った。

「ごめん・・なさい・・」
「・・・」

絞り出すように出た言葉はまるで自分の声とは思えない程弱々しいものだった。
さっきまで頭の中で巡らせていた言葉が思い出せない。
気の聞いた言葉も、弁解の言葉も、
まるでしゃべることを忘れてしまったかのようにそれ以上出てこなかった。

「・・・」

苦しい沈黙が続いて。
しかしそれを破る言葉さえ浮かばなくて。
薫は顔を上げずただじっと剣心の返事を待った。
心臓はこれでもかという程高鳴り、握りしめた拳はじっとりと汗を帯びる。

「・・そうやって謝って、また同じことを繰り返すのでござろう?」

突き放したようなその言葉に、薫の身体が揺れた。
「一体何度、こうゆうことがあったことか」
「・・・」
「拙者は子守をするために薫殿の傍にいるんじゃない。」

子守、という言葉が薫の心臓にひどく突き刺さった。

「機嫌をとるために傍にいるわけでもない」
「それは・・」
「そうゆう輩なら、他にもたくさんいるのでござろう?
優しくしてくれる男が」
「ちがっ・・」
「自分でそう言ったのではござらぬか。
だったら拙者は必要ないでござろう」

剣心の苛立ちのこもった声が発せられる度薫の心臓をえぐるように突き刺さる。
低くも通った声がやけに静かな部屋に響いて。
吐き捨てるようにそう言われて、薫はついに抑えていた涙を流し始めた。

「ふっ・・」
「泣いてもだめでござる」
自分でもわかっているのに薫の意思とは反対に次々と涙が頬を濡らした。
それを見られないよう顔を伏せたまま、薫は声を絞り出すように言った。



「・・だもん・・」
「・・なんでござる?」
「・・剣心以外の人・・に・・
優しくされても・・嬉しくな・・もん・・」

涙を拭うこともせず、薫は俯いたまま必死で言葉を紡ぎ出した。

「剣心じゃなきゃやだもん・・
甘やかされるのも・・怒られるのも・・わがままいうのもっ・・
剣心じゃなきゃ・・いや・・」

こみ上げる気持が少しでも剣心に伝わるよう、一言一言に想いをのせて呟く。
最後まで言い終えた時には薫の顔は涙と鼻水でぐしょぐしょだった。

情けない
謝ること一つうまくできなくて
子供のように泣きじゃくって

それでも
少しでも伝わってくれたら

泣くのも
笑うのも
怒るのも
頬を染めるのも
嫉妬するのも

全て全て全て
剣心のためだから


「・・・」

ひたすら泣き続ける薫を剣心は黙ったまま見つめた。

「・・拙者だって・・同じでござるよ・・」

ぽつりと剣心が言葉を零す。

「甘えられたいと思うのも甘やかしたいと思うのも・・
こんな風に怒るのも、薫殿だからでござる」
「・・・」
「薫殿が拙者とあの女性のことに嫉妬するように、
拙者だって薫殿から他の男の話しが出れば焼きもちの一つくらい妬くでござるよ」
「けんし・・」
「ただ、いちいち態度や怒りを表に出していたら拙者たちはいつまでもこのままでござる。
二人だけの世界に生きているわけではないのでござるから・・
嫉妬や怒りをぶつけ合うために一緒にいるのではないでござろう?
わがままや甘えなら拙者はいくらでも聞くでござる。
けれどできるなら・・薫殿とはいつも笑い合っていたい。
そんな風に嫉妬なんかする暇もないくらい想い合いたいと・・拙者はそう思っているのでござる」

不器用ではあるが普段口数の少ない剣心が精一杯の気持を薫に伝えて。
その言葉が薫の身体から、心から醜い感情を洗い流すよう染みこんでくる。

「・・わかってくれるでござるか・・?」
「・・・ん」
薫は言葉なく、涙を零したまま必死で頷いた。


「だったら・・」

そっと、剣心が両手を広げた。

「・・仲直り、でござる」

そう言って微笑んだ剣心の表情はいつもの優しい、薫の大好きな笑顔だった。

「っ・・」

やっと見せてくれた笑顔に、受け入れてくれるその腕に再びこみ上げる涙を抑えきれず
薫は力いっぱい、剣心の胸に飛び込んだ。
そんな薫を剣心は重心を崩すことなくしっかりと受け止めた。

「っ〜〜〜〜剣心・・ごめんっね・・
ごめんなさいっ・・」

剣心の背中に力いっぱい腕をまわして
暖かい胸に顔を埋め、薫は思い切り泣いた。
そんな薫を剣心はよしよしと言いながら抱きしめる。


ごめんね ごめんね
こんなしょうもないくらいわがままで
泣き虫でわからず屋で
馬鹿で女らしくなくて
ほんとどうしようもないけど
また同じことを繰り返してしまうかもしれないけど
それでも大好きだから
ほんとにほんとに大好きだから
どうかこんなわたしを離さないで


ほんの少しの間だけ離れていただけなのに
なんだかずいぶんと長く触れていなかったようで。
薫は深く深く剣心の胸に顔を埋め
その匂いを、ぬくもりを感じた。

(暖かい・・)

さっきまでの寒さはどこへやら、途端に身体中が暖かさでいっぱいになる。
幾度も幾度も剣心に頭を撫でられて
あやすように背中を擦られて
やっぱりどこか子供めいた自分を情けなく思いながらも
今はただ、このぬくもりに浸っていたいと思った。



「薫殿」

上から優しくそう呼ばれて、薫が顔を上げると。

「ん。」

そう言いながら目を閉じて、ほんの少し口を尖らせた剣心の顔があった。

薫はきゅっと濡れた頬を手で拭うと、そっと剣心の顔を包み
その唇に一つ、口付けを落とした。
離れていくぬくもりを感じながら剣心が目を開く。

「・・これだけ?」

強請るようにそう言われて
涙で濡れた顔をくしゃりと崩しながら薫もそっと目を閉じた。

もう一度重なった唇はそのまま離れることなく
言葉では伝えられない想いを確かめるよう何度も何度も求め合った。

甘いぬくもりに抱かれながら薫は心の中で何度も呟いた。


大好き―


うっすらと空が明るみ出してきた頃、ようやく部屋の明かりが消えた。








(終)




「愛しき日々」の少し前のお話です。

弥彦が語っていた「剣心が怒っていた」というけんかの真相(笑)

やっぱりわたしはわがままな薫殿が好きなようです。

10代の恋するおなごらしさが出ていればいいなぁ。

どんなに剣心を支えるといってもこういった恋愛に関しては

彼にひっぱっていってもらいたいです。

剣心今回珍しく厳しかったね。















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