―かわいいひと―





どれくらい時間が経ったのだろうか。
動かし続けていた手を休めて薫は視線だけを動かした。
その先には蒲団の上で胡坐をかきながら読書に励む男が一人。
やけに難しそうな顔をしながら、剣心はまた一枚と紙をめくった。
手櫛で済まされた赤い髪は彼の肩に絡み合うようにして落ちている。


時おり雨戸が揺れる音が聞こえるだけで室内はひどく静まり返っていた。
時計を見れば、いつもならすでに横になっている時間だった。
欠伸が零れるのも無理はない。
時計から再び視線を剣心に戻したところで、二人の目がぱちりと合い重なった。


「どうかしたでござるか?」
「え?ううん・・・」


なんとなく気恥ずかしいのは用もないのに目が合ったからだ。
ずっと見ていたと思われていないだろうか。


「それの調子はどうでござる?」


剣心の言うそれ。
二人の視線は薫の手元へと移った。
膝の上にある深緑色の布。
男性用の羽織だ。


「まだまだ・・・かな。」
「そうでござるか」
「ねぇ、本当に先に寝てていいのよ?
わたし居間でやるから・・・」
「せっかく部屋が暖まってきたのにそれでは意味がないでござろう」
「そうだけど・・・」
「拙者のことは気にしなくていいから好きなだけやるでござるよ。
終わるまで待ってるから」
「うん・・・」
「はやく完成するといいでござるな」


にっこりと微笑まれて、薫もつられて笑顔で返した。
剣心の目が本に戻ったのを確認すると薫は再び手を動かし始めた。
広げてみると、まだ半分も仕上がっていないのがわかる。
当初の予定よりかなり遅れているのだ。

深緑色のそれは以前父が愛用していたものの中から薫が引っ張り出してきたものだった。
日に日に寒さが厳しくなるにも関わらず 相変わらず薄着な剣心のために、こっそり仕立て直すことにしたのだ。
しかし、これを「こっそり」というのはおかしいのかもしれない。
しっかりちゃっかり堂々と本人の前で作業しているではないか。


一つの寝室で夜を共に過ごすようになったのは 弥彦が長屋に移ってからのことだ。
こんな風に何気ない会話を交わすこともあれば、さっきのようにお互い別々のことをしていることもある。

自然で心地良い空間。
そう感じられるようになったのはつい最近のことだった。
緊張することはあっても以前のようにぎくしゃくすることはなくなり
相手の行動一つ一つにいちいち過剰に反応することもなくなった。
そうやって一緒にいる事が必然と多くなり、それが当たり前と思うようになるまで時間は長くかからなかった。

だからこそ、薫のいう「こっそり」が難しくなってしまったのだ。



「・・・なに?」


ふと、剣心の目が自分にあることに気がついた。
読書に飽きたのか、いつの間にか本が枕元に置かれている。
胡坐をかいたまま興味深そうに剣心が薫の手元を覗いていた。


「本はもういいの?」
「キリのいいとこまで読み終わったから」
「あんな分厚い本よく読むわね。
わたしなんて一ページ読んだだけでやんなっちゃう」
「読み出すとなかなか止まらないものでござるよ」


しゃべりながらも剣心の視線は薫の指先に合わせて動いていた。
なんとなく針を持つ手が緊張してしまう。

剣心には「弥彦用」だと嘘をついていた。
最初は剣心が家を留守にしている間を見計らっては作業に勤しんでいたのだが
それでは完成する頃には冬が終わってしまう。
そこで、ある晩こっそりと部屋を抜けて居間で続きをやっていたのだが
案の定剣心に見つかってしまったのだ。
当然剣心は部屋でやることを勧めた。
夜更かししようとすれば、自分も起きていると言い張った。
そんなわけで薫は仕方なく弥彦のものと嘘をついて、剣心の前で「こっそり」と剣心の羽織を仕立てているのだ。

そこまでして隠す必要が果たしてあるのかというと返す言葉がないのだが
剣心の驚いた顔が見たいというのが正直な気持ちだった。
ちなみに弥彦の羽織は彼が長屋を出る前にすでに仕立てておいてあった。
薫が小さい頃着ていたお下がりである。
女用のなど嫌だと言われるかもしれないが、深い紺色のそれは薫のお気に入りだった。
馬鹿元気な弥彦でも最近口々に「寒い寒い」と言うようになったので、 次に会う時にでも渡すつもりだ。


「ねぇ剣心・・・弥彦喜ぶと思う?」
「そりゃあもちろん。」
「色も気に入ってくれるかしら?」
「落ち着いていてすごくいい色でござるよ」
「うん。他にも二、三枚あったんだけどね、これが一番似合うかなって思ったの。」


―剣心に。


「たまには違う色も着てほしいなと思って・・・」
「しかし薫殿、弥彦には少々大きすぎるのではござらんか?」
「そ、そんなことないわよ。
あの子成長期だから先のことを考えるとこれくらい大きめにつくっておいた方がいいの」
「あぁなるほど。賢いでござるなぁ」


頭を縦に振って感心する剣心に薫は思わず笑ってしまいそうになった。
ずいぶんとあっさり納得したものだ。
これが自分のものかもれないなんて、これっぽちも考えていないようだった。




「・・・ね、楽しい?」


会話が途切れても剣心は相変わらず薫の手元を追っていた。


「見られてるとやりづらいでござるか?」
「そうじゃないけど・・・」


気づけば剣心は薫の傍に寝転がり、頬杖をついてこちらを見つめていた。
薫の膝と剣心の顔の距離はほとんどない。


「器用でござるなぁ」
「・・・それ、わたしが料理してても同じこと言ってくれる?」
「・・・・・・・・・・言うでござる」
「何よその余計な間は!」
「はは・・・」
「もう・・・」


そしてまた途切れる会話。
薫は作業に集中した。
するようにした。
横で剣心がころりと仰向けに体勢を変えた。
そしてまたすぐにころりと薫の方へ寝転がる。
伸びをしたり、時計を眺めたり。
退屈そうだ。
たまに意味もなく薫の顔を覗き込んきたが無視を決め込んだ。

薫の視界の先で剣心の寝巻きが少しめくれていた。
その間からふくらはぎが覗いている。
おおっぴらに肌蹴た胸元と、そこに落ちる赤い髪。
視線がなんとなくそっちにいってしまうのは気のせいではない。


やがて時計が夜の11時の鐘を鳴らした。
その音を聞いても剣心が蒲団に潜る様子は一向になかった。
薫は薫で眠気はあってもまだ頑張れる気がした。
明日は休日だからできればもう少し進めてしまいたいのだ。


しかし


「よし、今日はこれで終わり」


ぷつ、と糸を切って薫は手を止めた。
突然片付けを始めた薫に剣心が少し驚いたように上半身を起こした。


「もういいのでござるか?」
「誰かさんが邪魔ばっかするから」


髪を触ってきたり、寝巻きの裾を引っ張ってきたり。
気づかないフリをしていたが、さっきからやたら触ってくるのだ。
自分のことは気にしなくていいとか言いながら、 しっかりちゃっかりかまってほしいと態度で示しているではないか。

なかなか作業が進まないのは、これが一番の原因だったりした。
もっと悪いのはそれにのってしまう自分なのかもしれないが。
そして今日も思い通りに進まずに終わってしまうのだ。


「しょうがないから、そろそろかまってあげる」


皮肉たっぷりの言葉に剣心は嬉しそうに表情を緩めた。


「それじゃあ、お言葉に甘えるでござるかな」


待ってましたというようにすかさず腕が伸びて、 薫はあっという間に剣心の胸に閉じ込められた。
薄い寝巻き越しに強く身体を押し付けるようにして抱きしめられる。

この瞬間は今だ緊張してしまう。
しかしその緊張をほぐしてくれるのも彼であり、 その瞬間を恋しく思うようにさせたのも彼である。


「ちょっと・・・やだそれ・・・」
「ん?」
「くすぐったいよ・・・」


剣心の唇が啄ばむように頬やこめかみに触れてくる。
くすぐったいけど、それだけではない。
肩を押し返してしまうのはただの照れ隠しだ。
剣心もそれをわかっていた。
わかっているから、唇は離れるどころかさらに薫を高ぶらせようと肌を滑る。


「じゃあこれは?」
「んっ・・・」


唇で耳朶を挟まれて薫が小さく身を捩った。


「くすぐったいでござるか?それとも・・・」


寝巻きの戒めを解かれながら、薫は耳元に囁かれた言葉に身体の芯を熱くさせた。



―明日こそ、いっぱい進めよう。



徐々に失われつつある思考の中で薫は思った。


柔らかい赤毛にあの深緑が良く似合うはずだ。
はやく羽織った姿を見てみたい。


「薫殿・・・」
「ん・・・?」
「明日は休みだから、たっぷり夜更かししても早起きせずに済むでござるな」
「・・・。」

仕上がるのは、当分先かもしれない―




結局、薫の秘密の贈り物は予定より大幅に遅れて剣心の手へと渡った。
しかし剣心の期待以上の驚き様に、薫は大満足だったのだとか。




(終)






遅くなりましたが6万打、本当にありがとうございました。

いただいたテーマは「艶っぽく甘える剣さん」だったんですが、 書いてくうちにほのぼのなかんじに。

にやり4号さま、これで許したってください(笑)

「かわいいひと」とは、 薫殿の邪魔をしないように待ちながらもついちょっかい出して甘えてしまう剣さんのことと

剣心のために「こっそり」頑張りながらもつい奴のとこにいっちゃう薫殿のことです。

寒い冬にほっこり心があったまるようなお話が書きたかった。

たんたんと小さくて細かい私的え所を詰め込みました。








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