初めて船に乗った時
海を、怖いと思った
改めてその広さを知って
ふと下を見ればどこまでも深い蒼
気を抜けば、引き込まれると思った



―二人―



二度目の船はあなたと一緒
不思議なことに恐怖なんて微塵も感じなかった
海が怖かったんじゃなくて
あの時はあなたがいなかったから怖かった

潮風が心地いい
太陽に反射する水面を綺麗だと思った

―船酔いする余裕さえ出てしまった



(はぁ・・まだちょっと気持ち悪いな・・)

少しだけふらついた足取りで薫は船室へと戻っていった
京都と東京を行き来するには船を使うしかない
初めて乗った時は平気だったのになぁ、そんなことを思いながら薫はちらちらと室内を見渡した
一番奥の隅の方にひときわ目立った髪色をした男が腰を降ろしていた

(寝てる・・?)

吊られた片腕を懐に納めて
胸に刀を抱え込み剣心はじっと目を伏せていた
話声や子供の笑い声など他の船客で賑わう中、剣心の存在だけが違う空間のものに見える

「薫殿」

薫が声をかけるより先に剣心の目が開いた

(やっぱ寝てなかったか・・)

人一倍敏感な彼のことだ
こんな騒がしい中では寝ることなど不可能に近い
そうわかっていながらももしかしたら、と思ったのだが

(疲れてるはずなのに・・)

ゆっくり寝かせてあげたいのはやまやまだが、さすがに個室を選べるほど懐に余裕はない
こんな蒸し暑い室内でただでさえ居心地が悪かろうに、怪我の調子も心配だ
そんなことを考えながら薫はそっと剣心の隣に腰かけた

「もういいのでござるか?」
「うん。外気持ちよかったわ」

剣心には船酔いしたことは言わなかった
変に心配させて気をつかわせるのは嫌だし、何より彼の方が重症なのだ
まだ完全に癒えていない右腕の傷
具合が悪いといえば自分も付いていくと言うだろうから
剣心には「外が見たい」とだけ言って甲板に出ていた
しかしそれでもなかなか良くならず
薫は諦めて船室に戻ることにしたのだ


「一緒に京都に来て欲しい」


そう言われたのはあまりにも突然だった
一瞬彼が何を言っているのかわからなくて思わず聞き返しそうになったが
言葉よりも彼の瞳が全てを語っていた
日本人にはあまり見られない淡い紫色の混じった瞳が幾度も揺らめいて

緊張と

不安と

決意と

いろいろな想いがそこに写っていた

それに魅せられるように薫はただ、こくりと頷いた
遅かれ早かれ、それは薫も望んでいたことだから

京都へ

彼の亡き妻、雪代巴の墓参りへ・・




室内は風の通りが悪いのか
蒸し蒸しとした空気が薫の気分を一層悪化させた

(横になりたい・・)

寄りかかるものもなければ寝転がることもできない
船が揺れる度胸の底から何かが這い上がってくる気分だ
自然と潤んでくる瞳をこっそりと拭った

こんな風に船酔いをしてしまったのは
やはり感情の乱れのせいだろうか

望んでいたこととはいえ、冷静でいられるわけがなかった

話で聞いただけの、薫にとっては一生顔さえ知ることの出来ない
緋村剣心が妻として愛したその女性

雪のように儚い人

薫が思い浮かべられるのはそれだけだ

彼女の墓前に立って、自分は一体何を思うのだろうか
自分は彼女に、何を伝えるのだろう

そして

彼女は自分を見てどう思うのだろう
彼の横に立つことを許してくれるだろうか
自分に、その資格があるのだろうか

どこまでも続く蒼い水面を見つめながら
薫はそんなことを幾度も考えていた

隣に座る男から緊迫した空気が伝わってくる
それは船に乗った時からずっと変わらない
自分と同じように彼もいろいろな想いを巡らせているのだろう

怖気ついたわけでも
決意が揺らめいたわけでもないが

自分も彼も、不安定な場所にいた
ゆらゆらと波に揺さぶられる船のように落ち着かない

二人で墓参りへ行くということ

それはある意味全ての終わりで
全ての始まりとなる

それを二人で見送り
それを二人で迎えるということは

彼にとっても
自分にとっても

とても大きな意味を残す

だからこそ
考えることをやめられない



「薫殿」

突然名前を呼ばれて、薫は思考から呼び戻された
返事をする前に肩に何かが触れる
彼の、暖かい手だった

「剣心・・?」
「つらいのでござろう?
拙者に寄りかかるといいでござる」

少しためらうように肩を抱かれ、自然と薫の顔が剣心の胸へ近づいた

「あ、ありがとう・・」

突然のことに薫は動揺を隠せなかった

こんな風に触れ合うのは、今までほとんどなかったからだ
初めて肩を抱かれたのは夕やけの綺麗な日だった
あの時と同じように胸が苦しいくらいに鳴り出す

(わたしが気分悪いの知ってたんだ・・)

なんでもお見通しなんだな、と薫はため息をついた


ふと、鼓動の音を聴いた

(あ・・)

自分と同じくらいはやく鳴り響くこの音は、きっと剣心のものだろう
裾からのぞく肌がうっすらと汗ばんでいる

(剣心も・・緊張してる?)

そっと、横から顔を覗きこむようにして見てみるが表情を読み取れない
剣心は薫から視線を背けるように一点に外を見つめていた
それでも肩を抱く腕は弱まるどころか一層強くなった気がする

大丈夫だと 伝えるように

大丈夫だと自分自身に言い聞かせるように


(これからは、こうやって甘えていいのかしら)

手を繋いだり
抱きしめ合うことが普通になるのだろうか
ずっと隠してきた感情を素直に出して
触れたいと思うことを伝えて

支え合うことを望んでいいのだろうか


だったら

もう少し、近づきたい―


薫はそっと、肩を抱く手に自分の手を重ねた
一瞬剣心の肩が揺れたが
特に何も言わず自然にその手に指を絡めてきた

お互い目を合わせることなく
二つの体温と鼓動だけを感じる

蒸し暑い中で寄り添うようにする二人は
そこだけ別の空間に見えた

じっとしているだけでもじりじりと汗が吹き出して
熱気のこもった室内は空気の歪みが見える
髪が肌に触れるだけで気持ち悪かったのに

熱を増した身体はどうしてこんなにも心地良いのだろうか

薫はそっと、瞳を閉じた

触れ合った部分から、何かが溶けていく気分だった

身体が軽くなって
心が軽くなって

さっきまで重くのしかかっていた感情が外に流れていくようだ

剣心も同じように感じているのだろうか
さっきまで固く張っていた肩が少しだけ柔らかさを取り戻した気がする


二人でなら大丈夫

薫は漠然とそう思った

彼がいれば大丈夫
だから剣心にも、同じように感じてほしい

気がつけば、船酔いのことなどすっかり忘れてしまっていた
それと同時に優しい眠気がやってくる

知らなかった
自分はこの存在だけで眠りにつけるのだ

(だから剣心も・・)

いつか、自分の傍でだけでも安心して彼が眠れる日がくるだろうか


京都に着くまで、閉じられた瞼が上がることはなかった



夢の中で、誰かが優しく笑いかけてきた



もうすぐ会えるから

二人で一緒に
もうすぐ会いに行くから


待っていてください









(終)




剣心にとっても薫にとってもいろいろと想いを巡らせた二人旅だったんだろうなと。

暑い中でのささやかな触れ合いとか、いいなって。

薫殿って巴さんの顔さえも知らないんだと思ったらなんだかせつなくなった。

コミック買って見せてやりたい。












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