―猫―





「見て〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」


秋の空に一際甲高い声が響いた。


「剣心剣心剣心けんしんっ!!」


どたばたと激しい音を立てながら近づいてくる足音は
彼女がどれだけ興奮しているのかを教えてくれる。


「こっちでござるよ〜」


襷をかけて洗濯ものに精を出していた剣心は、薫を出迎えるのに一歩遅れてしまった。


「剣心!」

飛び切り大きい声が聞こえたかと思うと、飛び跳ねるようにして走ってくる薫の姿があった。
その表情のなんと嬉しそうなことか。


「おかえりでござる薫殿」
「ふふふふふふ。」


笑いをこらえることができないのか薫の口元はひきつったように大きく上がっていた。


「一体どうしたのでござるか?」


後ろに何かを隠しながら笑う薫に剣心も楽しそうに首をかしげた。


「じゃ〜〜〜〜〜〜〜〜んっ!!」
「おろ?」


突然剣心の視界を何かが覆った




ふわふわ




剣心が最初に頭に浮かんだ言葉はこれであった。


「かぁわぁいいでしょぉぉおお???」


これでもかというほど声を高めながら薫が剣心の前に差し出したのは


「・・猫、でござるか?」


くるくるとした茶色い目に
ふわふわとした白とうす茶色の毛をまとった


子猫だった



「一体どうしたのでござる?」
「川原で箱の中に入ってるのを見つけたの!」


そう言って薫は手の中で小さくなっている子猫に頬をすり合わせた。


「きっと捨てられたのよ。
こんな小さいのに一人であんなところに置き去りにされて」


くすぐったそうに身を捩る子猫にかまわず薫は盛大な音を立ててその毛むくじゃらに口付けた。


「それで、連れて帰ってきてしまったのでござるか?」
「だってこぉんな目で見つめられたら放っておけるわけないじゃない?
きらきらうるうるさせて、助けてって呼んでたのよ」


薫がずいっと子猫を差し出すと、その愛くるしい瞳が剣心の目に飛び込んできた。


「ね、剣心も抱いてみて」


柔らかい感触と共に剣心は腕に軽い重みを感じた。
特に嫌がりもせず自分の腕の中で欠伸をする子猫に、剣心の顔も自然と緩まる。


「・・・・・可愛いでござるなぁ・・」


どこかとろけたようにそう言う剣心に薫も満足そうに頷いた。


「ね、この子新しい飼い主が見つかるまで置いてあげていいでしょ?」
「心当たりはあるのでござるか?」
「ん〜ないけど探すわ!
見つからなかったらわたしが飼ってもいいし」
「まぁどちらにしろ、しばらくはここでゆっくりさせてやるでござるよ」
「うんっ」


落ち着きがないほどはしゃぐ薫はまるで子供のようだった。
昨夜の彼女とは全く違うな、などと剣心が一人心の中で呟いたことも知らずに―




その夜早々に夕飯と風呂を済ませると、薫はつきっきりで子猫の相手をし始めた。
可愛くて可愛くて仕方ないのか、とにかくずっとそばから離れない。


「ねぇ剣心、この子名前なにがいいかしら」
「うーん、そうでござるなぁ・・」


剣心は首を傾げながらしばらく考え込み、何かひらめいたように顔を上げた。


「たま、はどうでござる?」
「えぇ〜〜〜〜?
あんまり可愛くない!」
「おろ」


薫にすっぱりと否定されてしまい剣心が情けない声を上げた。


「じゃぁ、太郎。」
「・・・剣心、もういいわ。わたしが考えるから」
「そ、そうでござるか」
「なにがいいかなぁ」


ぷいと背中を向けて、薫はうーんと呻きながら頭を捻らせた。
よほど真剣に悩んでいるのか、背中を向けたままぴくりとも動かない。
そんな薫の後ろ姿を剣心は静かに見つめていた。



まるで昨夜のことなど覚えていないようなしぐさ。
猫のことで頭がいっぱなのだろう。
そのことにどこか落胆を覚えながらも剣心少なからず安堵した。

正直、今日はあまり話しかけてくれないと思っていたから。
剣心はふと、目にやきついたままの薫の艶やかな顔を思い浮かべた。





暑い夏がようやく終幕を迎えた


大きな戦いが終わって
怪我が癒え
仲間が去り
昨日は、最後の一人である弥彦がここを出た


仲間の旅立ちを祝いながらもかすかな寂しさを残して
神谷道場は剣心と、薫の二人だけになった


出会った時も二人で暮らしていた
しかしその時とは明らかに違う気持を抱え
明らかに違う状況にいる


言葉にせずともどこかいつもと違う雰囲気
気まずさ
それでも心地の良い空間
最初は他愛無い会話に華を咲かせていたのだ


「もう寝るね」と言った薫を
ふいに呼び止めたのは剣心だった
掴まれた手に驚く薫と
自分自身の行動に驚く剣心と



静かな沈黙が流れて



そっと、剣心が動いた



ゆっくりと剣心の顔が薫に近づいて
目と目は合わさったまま



触れる―・・・



そう思った瞬間、薫が剣心を押しのけた




「・・ごめんなさい・・」


顔を真っ赤に染めて
とまどった顔でそれだけ言うと
薫は逃げるように居間を出て行った


その体勢から動けずにいた剣心は
自分の起こした行動に後悔を覚えた


―性急すぎたか・・


寂しさと恥じらいに染まった愛らしい薫の表情は
剣心を誘惑するのに十分だった


―全く・・無意識であんな顔をするんだから困ったものでござるな・・



行き場のない想いをもてあましながら夜を過ごし

結局そのまま朝を向かえ
どこかぎこちないながらも薫は出稽古へ
剣心はいつものように家事にとりかかった


(昨夜のことは、なかったことにされてしまったということでござろうか)



重たいため息が、自然と零れた







「決めた!」


はっと、剣心は弾けたように思考から呼び戻された。


「この子の名前は、はなちゃんよ」


「はなちゃん・・でござるか」
「女の子だし、川で見つけた時近くに可愛い花が咲いてたの。
なんの花か分からなかったから、はなちゃん。
はなです。よろしくね、剣心」


薫はそう言いながら子猫の小さな手を剣心に向けて振って見せた。


「・・こちらこそ、よろしくでござる」


柔らかそうな肉球を見せながら薫の腕の中で目をきょろきょろとさせる子猫は
やはりとても可愛かった。


しばらくは薫を独り占めされることだろう


剣心はもう一度、心の中でため息をついた




それから数日後のこと。
はなと名づけられた子猫はすっかりと神谷道場に身を置き 可愛がられるようになっていた。
時間さえあればずっと子猫につきっきりな薫と同じように
子猫も薫がいなくなれば薫を探しに歩き回る始末。
そんな子猫に薫はますます夢中になって。
気づけば剣心はすっかり蚊帳の外だった。



しかしある日、事態は大きく変わることになる―





「ただいまー」



出稽古から帰ってきた薫は竹刀と荷物を床に置くと玄関越しに叫んだ。


「はなー」


頭の中にはまるでそれしかないかのように薫は目的のそれを探した。


「薫殿ーおかえりでござる〜」
「剣心?どこ?」


声のする方へ行くと、縁側に腰を降ろしたままの剣心が振り返った。


「お疲れ様でござる。
風呂はもう用意できてるでござるよ」
「ありがとう・・・って、はな?」
「今寝てるでござるから」


そっと覗きこむように剣心の膝を見ると、子猫が丸くなって眠っていた。
暖かい日差しに照らされながら、柔らかな腹が上下に動いている。


「遊んでやったら疲れてしまったみたいでござるな」


剣心の手が子猫の毛を優しくて撫で上げる。
子猫と比べてるせか、剣心の手はいつもより大きく見えた。


「すごい・・よく寝てるわね」


薫はいささかびっくりしたように言った。


「薫殿が一日いなくて独りで寂しそうだったからずっと相手をしていたのでござるよ」
「そう・・」
「ずいぶんと寂しがりな猫でござる。
散歩にでも出ればいいのに、もう外はこりごりなのでござるかな」


そう言いながら剣心は幾度も幾度も子猫を撫で続けた。
そのゆったりとした手の動きから薫は目が離せなかった。


「・・薫殿?」
「え?」


「風呂はいいのでござるか?」
「あ、うん。
じゃぁ入ってくるわ」
「お茶を用意しておくでござるよ」
「ありがとう」



薫はそう言うと、少し名残惜しそうに立ち上がった。


そっと振り返れば、剣心の背中が目に入る。
かすかに動く手が、剣心が今だ子猫を撫でていることを教えた。


(・・よく眠ってたな)


胴着を脱ぎながら薫は気持ち良さそうに眠る子猫を思い浮かべた。


(わたしが抱っこしてる時は一度も寝たことなんてなかったのに・・)




可愛らしい子猫の鳴き声が、かすかに耳に届いた。






後編へ











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